JRの無人駅「車椅子乗車拒否問題」について考えてみた


乗車拒否してないじゃん の一言で終わる。

あとなんでyoutubeコメオフにしとるん?で終わる。

相手の意見を聞きたくないならなぜ弁解だけをする。それって全然公平じゃないよね?

多分「障がい者」とか「車いすユーザー」とか全然関係ないですよ?人間としてどうなの?人格がおかしいよあなたと言われているだけです。

みんな多分障がい者とか車いすとかで差別してませんよね?差別したら遠慮して言いたいことがあっても引っ込めてるはずだもの。健常者は多少のことなら障がい者に強く言うなんてしませんよ。

だって「気の毒」だと思うからね。本来なら優しくしなきゃいけない相手だと思うもの。でも、それで何も言われないというのは、ただ「区別」されているだけで、差別差別っていって騒ぐ側が嫌いな「差別」が何も言わないっていうことなんです。

でもこれだけ「おかしい」と言われてる。障害があるからって皆遠慮しない。それはこの人を「車いすユーザー」とか「障がい者」として「区別」して見てないから、公平に見ているからこそ「おかしいよ」と言われているわけです。

でもこの人は多分優しくされるのが当たり前だから、そういう風に普通の人みたいに「おかしい」と言われる機会がないんでしょうね。

ある意味「障がい者」を一番意識しているのは言っているほうじゃないの?と思う。

私も祖母方に耳の聞こえない親戚がいました。しゃべれなくて、手話とか唸るしか表現手段がない人でした。

でも別にみんな「耳が聞こえない」というのを意識しないで普通に聞こえるものとして話しかけてたからね。

相手も「私わからないからちゃんと手話で話して!」なんて怒らないです。大体普通に話しかければ、顔の表情とか声の調子で何がいいたいかは結構理解はしてくれるんです。

祖母が細かい部分を手話で教えてあげて「うんうん」と頷いてコミュニケーションがそこで成り立ちます。

この人を障がい者だからって誰も区別してなかったです。だから変なことしたら「おかしいよ!」と怒るし「それは違うよ!」と普通に喧嘩してましたし、向こうも「あんたそりゃあダメだろ!」と怒ってきたりしたけど、それに全部なんでもハイハイ言うのは相手を下に見てることだと私は思います。

この人、自分から「障がい者には関わりたくない」と思われる行動をしてるだけなんですよ。

他の障害を持った人の迷惑だと思います。何も悪くないほかの人まで、助けが得られなくなる可能性が高いです。

少なくとも、これからたいていの人は相手を見て手伝うようになると思います。この人みたいに面倒そうな人だと思われれば、誰も助けないでしょうね。

これは他の人にとって得だったのでしょうか、ソンだったのでしょうか?世の中のためというなら、それを考えるべきだったのではないでしょうか。


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