【毒親】マリリン・モンローと家族の病。「捨てられた子供」の孤独な闘い【育児放棄】

 

先日「なぜノーマ・ジーンはマリリン・モンローを殺したか」という本を読みました。

この本、非常に考えさせられる内容で、現代でも頻繁に起きている児童虐待、ひどく魅力的に見える華やかな芸能人が苦悩している心理の裏側、自尊心が非常に低く、そのため緩やかな自分への殺人として「飲酒・オーバードーズ・捨て鉢な男女関係を次々に結ぶ」ということを家族との関わりから分かりやすく「マリリン・モンロー」というビッグ・スターの人生を通して描いています。

 

なぜノーマ・ジーンはマリリン・モンローを殺したか (扶桑社ノンフィクション)

なぜノーマ・ジーンはマリリン・モンローを殺したか (扶桑社ノンフィクション)

 

芥川龍之介の生い立ちにも似た「狂気の家系」という呪いが子供を蝕む

『芥川龍之介全集・378作品⇒1冊』

『芥川龍之介全集・378作品⇒1冊』

 

日本の文豪芥川龍之介の生い立ちとして有名なのが、彼の母親は精神を病み早逝し、幼い芥川は母親と過ごす時間はほとんど持たず、養子として成長したということです。

生後7か月ごろに母フクが精神に異常をきたしたため、東京市本所区小泉町にある母の実家の芥川家に預けられ、伯母のフキに養育される。11歳のときに母が亡くなる。翌年に叔父・芥川道章(フクの実兄)の養子となり、芥川姓を名乗ることになった。

引用元:wikipedia「芥川龍之介」

 

なぜこの芥川の生い立ちを紹介したのかというと、彼の生い立ちが非常にマリリン・モンローに酷似しているからです。

彼女の祖母デラは結婚生活の失敗から精神を病みます。

 

デラの夫はアメリカからインドに一人渡航してしまい、一人残された彼女は次第に妄想・暴言の類が増え、近所の人に訳もなく怒鳴り散らすなどという問題行動が重なり、強制的に精神病院に収監されることとなり、そこで亡くなります。

次いでマリリンの母グラディスは、関係を持った男性の子を身ごもるも、彼にすげなく捨てられ

シングルマザーとなり、母子共々祖母の家に身を寄せたり、マリリンを預けて働きだすなど懸命に務めましたが

上に上げたデラの発狂と壮絶な死に縛られるかの如く、彼女自身もまた狂気に捕らわれ、精神を病むこととなってしまいます。

グラディスもまた、精神病院に強制入院させられ、突然母親がいなくなったマリリンは縁のうすい家庭を養子として転々とすることとなります。

マリリン・モンローの言葉~世界一セクシーな彼女の魅力の秘密 (だいわ文庫)

マリリン・モンローの言葉~世界一セクシーな彼女の魅力の秘密 (だいわ文庫)

 

マリリンはこの祖母と母の壮絶な人生を目の当たりにしており、自分もいつかそうなるのではないか、という小説「歯車」で芥川いうところの「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」から抜け出すことが一生できず、自らにも潜んでいるかもしれない「狂気の種」におびえ続けていたことが「なぜノーマ・ジーンは~」で紐解かれています。

芥川もまた、母の発狂に怯え、自らもそうなるのではないか、という恐怖を抱えていたことはよく知られています。

自分を愛せないから人を上手く愛せない。愛を乞う一方で結婚を壊してしまう

 

わたしは大衆のもの、世界のものです。けれどそれは才能があるからではなく、まして美しいからでもなく、ほかのだれにも、誰の元にも居場所がなかったからなのです。

マリリンモンロー没後55周年 特別企画

マリリンモンロー没後55周年 特別企画

 

こんなにも美しい人が何を言っているのだろう?と思ってしまうこの言葉。アメリカ中の、大げさではなく世界の男性をことごとく魅了する美しさを持ち、甘い声と美を体現したようなミューズ。優美なプロポーションを持ちながら、彼女は常に居場所を求めていました。

メジャー・リーグのスター選手ジョー・ディマジオ

天才劇作家アーサー・ミラー

彼女の配偶者は無名時代の夫をスタートに、スター野球選手・天才芸術家など人も羨む才能ある人ばかりなのです。

ところがディマジオとは9か月、ミラーとは5年で結婚生活が破綻。

今風に言うならば、ディマジオは「女優をやめて家庭に入ってくれ。俺の妻として家庭にいてくれ」タイプで、マリリンがセクシーのシンボルとして見られることを面白く思わなかったのです。自分自身がスターであるからこそ妻もまたスターであることに居心地の悪さを感じるタイプであったのではないかと思います。

対するミラーは天才肌の芸術家で物書きです。彼女をモチーフにした「荒野と女」を手掛け、まぎれもなく彼女を自らの芸術のミューズと見做しており、彼なりに彼女に対する愛を表明していたにも関わらず、それは彼女の欲しがったものとは違っていました。

自分のことだけを考え、愛し、甘やかし、安らがせてもらうことを彼女は求めていましたが、ミラーの愛情表現は「仕事をすること」彼女を芸術作品として昇華したものを部屋に籠り、著作に没頭することで彼女への愛を表現しようとしていたのではないかと思います。

当然仕事に真剣な訳だから(それはイコール彼女への愛情表現だから)厳しくもなるし脚本の出来にも厳しく何度もリテイクを出したり、内容を変えたりしました。

どこまでも不器用に、ビジネスライクにあろうとする仕事に真剣な男性と、愛情に飢え、温かで分かりやすい愛情表現を求めている美しい女性。

お互い何も間違ってはいないのに、圧倒的に噛み合わない相性だったのでした。

ミラーとの結婚生活との破綻は彼女の心を徹底的に破壊し、揺さぶりました。

 

↓ミラーとの生活が破たんしかけているころ、マリリンに起きたという小さな恋の話です。

 

父の代理としての夫と恋人。「愛してほしい」という渇望は癒せない

 

マリリン・モンロー 海外セレブグラフィックアートパネル 木製 壁掛け インテリア ポスター (26*26cm アートパネルのみ)

マリリンには「見えない連れ」がいて「捨ててしまえ、こちらが見捨てられる前にお前のほうから!」と囁いているようだった。マリリンが本当に切望していたのは単なる夫ではなく、まっとうな両親だったのだろうか?

クリフォード・オデッツ 雑誌「ショー」のマリリン追悼文より

 

この追悼文は短くも彼女をよく表した言葉が綴られています。彼女の父クリフォードは、マリリンを身籠った母グラディスを見捨てて逃げ、彼女を父のない子供にした張本人です。

彼女の中では「父親」としての存在、ひいては将来の夫像につながるモデル像が存在していませんでした。

当然、伴侶に求めるのは父親像、自分を無条件に愛してくれる男性になります。ところがそんなことは男性側には分かりません。彼らは「父親」ではなくて「夫」だという認識だからです。

結局ディマジオと破局。ミラーとも精神を荒廃させた挙句に離婚。どちらも「彼女から去った」という形ではなく、相手側が愛情を示すこと、親のように無条件で愛してくれること、という大きすぎる要求に疲弊し、彼女との関係が破綻してしまったのです。

これに非常なダメージを受けたことは想像に難くありません。

 

手酷く拒絶されたトラウマが与えたもの。マリリンは「二度捨てられた子供」

彼女は大成したのち、父クリフォードに電話を掛けます。「あなたの娘です。あなたに会いたいです」と。

ところが電話に出たクリフォードの家族を通して伝えられた言葉は「会いたくない。もし会いたいなら弁護士を通してくれ」というあまりにも冷酷な言葉でした。

彼女は父に二度捨てられたのでした。

その後、マリリンは一時的に危篤に陥った父からの連絡を受けたとき「弁護士に電話してちょうだい」と言い放ち、彼らは決定的に断絶してしまうのでした。

 

他人と「家族」を築きなおすということ~「カルテット」は概念を揺さぶるドラマ

このエピソードで思い出したのが日本のドラマ「カルテット」の一幕でした。

第1話 偶然の出会いに隠された4つの嘘・・・大人のラブサスペンス!!

第1話 偶然の出会いに隠された4つの嘘・・・大人のラブサスペンス!!

 

登場人物の「すずめ」は幼いころ、超能力少女としてマスコミの寵児でしたが、その結果すずめは父親と決定的に断絶することに。

すずめは育児用語でいう「搾取子」でもあり、その父は「毒親」でもあるのですね。

 

毒親の棄て方: 娘のための自信回復マニュアル

 

音信不通の父親が亡くなったという知らせを受け「お葬式に行かなきゃいけないのかな?」と彼女は自分の感情と娘としての「ふつう」に引き裂かれて苦悩します。

そのとき、色々な苦労を知っている友人に「行かなくてもいいよ」と言われたシーンが非常に心に残りました。

どうやっても親を愛せないということ。親が自分を傷つけたことを許せない自分が許せない。子供というのはどこまでも優しい生き物で、どんなに酷い親だとしても心の底から憎みきれない。

それを「いいよ」「それでいいよ」と言って背中を押してあげるやさしさ。このドラマは家族であっても「幸せ」や「愛し合うこと」が当たり前ではない、ということを教えてくれるドラマです。

マリリンは後日、重篤な病に侵された父から「会いたい」という連絡が来たとき「弁護士を通してちょうだい」と彼がかつて彼女を切り捨てた言葉で父親を切り離しました。

それから彼女は当然父の死に目に会うこともありませんでした。

「カルテット」のすずめは、父の弔いに参加しないことで父親を名実上ようやく捨てることに成功したケース。

↓すずめは満島ひかりさんが演じています

第6話

第6話

 

しかしマリリンのようにばっさりと切り捨てるだけの割り切りが出来ず「いかなきゃいけない、行けない自分はだめな人間」と葛藤しています(本編エピソード8話・9話)

 

 

「カルテット」は松たか子さん・満島ひかりさん・松田龍平さん・高橋一生さん、吉岡里帆さんが出てます。椎名林檎さんの作詞した「大人の掟」も素敵です。松さんと満島さんのデュオが美しい。

このドラマを貫いているのは「他人同士でも家族のようなものになれる」「家族でも嫌ってもいい、罪悪感を感じてはいけない」という重たいテーマなのですが、軽妙な会話と深読みが楽しい意味深な間とセリフが上質なケーキのように味わい深いです。

私はこのドラマで松田龍平さんの指のきれいさ、美しさに落ちました。いろいろ叩かれやすい吉岡さんも、いっそあざといぐらいの役どころで笑ってしまいますよ。プライムでも一話単位でやってますので良かったら見てみてください。

肉体と美貌だけが武器。アメリカの「父」を攻略することは父への復讐か

 

華やかなハリウッド人脈に連なるジアンカーナとフランク・シナトラ。

彼らとの交友はアメリカの父、JFケネディ大統領との交流も引き寄せました。精力的で逞しいイケメン大統領と、艶めかしく美しいセクシーのシンボル女優。

どうにかならないほうがおかしいわけで。でもどう考えても火遊びでしかなかったのでしょう。なぜなら彼はジャクリーンという美しい妻がおり、どこからどう見ても完璧な家庭の夫でした。

ジャクリーンという帰る場所があるからこそマリリンとの火遊びができる、いつの時代も変わらない、男の身勝手でしかありません。

 

ケネディとジャクリーン。ちょっとキャメロン・ディアスに似ている綺麗な女性ですね。

リメンバリングJFK ジョン・F・ケネディ 大統領就任年50 周年記念コンサート

リメンバリングJFK ジョン・F・ケネディ 大統領就任年50 周年記念コンサート

 

アメリカのシンボルと言われるほどセクシーな女性といっぽうでアメリカの「父」にも等しい魅力的なハンサムな大統領。

彼女がもし大統領に対して「重たい女」になってしまい、それを負担に感じた大統領が徐々に距離を離し始めたのだとしたら、それは彼女が彼の魅力や権力に惹かれたのではないとこれまでの彼女の生い立ちを見てきてそう感じます。

すべてを手に入れたってしあわせなわけじゃない

彼女は「父」という概念を手に入れたかったのだと思います。生物上の親には物理的にも精神的にも受け入れてもらえることはなく、彼女の中には圧倒的に「父親的な存在・概念」自体が欠けていました。

その「生きづらさ」卒業できます。

これまでの配偶者には無私の愛、父親的な包容力を求め、破綻してそれに失敗してきました。

そこに現れたのは、自分にメロメロの若く、魅力的な人柄のハンサムな「アメリカの父」でした。

彼ほど魅力的な「父」がいるでしょうか。彼を手に入れればもう意気地なしで冷たく、愛情に欠けた実の父など必要ありません。彼に愛されさえすれば、これまでの悲惨な失敗体験がすべて帳消しになる、そう考えたのではないでしょうか。

彼女はだからこそ彼を獲得することに必死になり(ハッピーバースディミスター・プレジデントをパーティで歌い)自らの持った「艶めかしさ」を頼りに彼を得ようとした。

(↓歌いだしは1分30秒あたりから。その数秒前の、所在なさげで不安そうな彼女の仕草が目に留まります。あまりメンタルの強くない、繊細な女性のように見えます)

しかし悲しいかな、男女の利害は一致しないのは世の常です。

いつの時代も男は「仕事」なのです。

いくらセクシーで誰もがうらやむ女性といい関係を結べたとしても、彼はFBIやマフィアと対立しており、彼女はアキレスの踵にもなりかねない危険な存在、もはや「爆弾」になりかけていた。

ケネディ暗殺 ウォーレン委員会50年目の証言(上)

いくら美人でも、いくらセクシーでも仕事の邪魔になるならあっさり切り捨てるしかないのです。

しがみつく→重くなる→捨てられた理由が分からず半狂乱になる→もっと重くなって逃げる

永遠に変わらない悲しい男女のすれちがいです。

美人・セクシー・蠱惑的。いくらこんな外見・容貌をしていても、結局のところマリリンの内面は子供のままなのです。

要はケネディは自分の手にも負えないのに、セクシー・魅力的だというだけで軽く手を出した、そういうことでしょう。

 

「お父さん像がない娘」の「お父さん獲得」のための戦争!?

なぜ、あなたのアダルトチルドレンは改善されないのか? ―父親から愛されなかったあなたへ―

慈愛心に満ち、果てしなく広い心を持ち、彼女を異性としてではなく肉親として扱ってくれる

そういう男性でなければこういう女性に手を出すと大やけどを負う羽目になります。

どう考えても上の条件にあてはまるのはやはり「実の父親」でしかないのです。

私が以前から考えている説として「若い子でおじさんが好きな女性・おじさんを狙う女性」というのは実はこういうタイプではないか、という推測なのですが、実はこういう「おじさんを家庭から奪おうとする女性」というのは、恋人ではなく「父親」または「自分に関心を向けてくれる父親の代理」が欲しいのではないか、と思います。

マリリン・モンローとともに 姉妹として、ライバルとして、親友として

たとえ父親がいたとしても、仕事仕事で碌に話もしないし温かい言葉を掛けてくれるわけでもない。会話もしない父親のことを親密な家族だと思えるはずもありません。

父親がいてもこうした心境に陥る娘は多いのではないでしょうか。

最近いわれるパパなんたら活も、お小遣いを貰うだとか、美味しい高級料理を食べさせてもらうだとか、(肉体関係除く)ほんとうは結局実の父親にやってもらえばいいことを他人の父親に依存しているわけだから、広義の意味での「他人の父親略奪」のように思います。

孤独と愛情欲求とトラウマ 孤独感に苛まれる人生の悪循環から自由になる本

自分だけのお父さんが欲しい。よそのうちのお父さんでもいい。自分の中で「父親像」が希薄だから、欠落したものはいっそよそから持ってくるしかない。

そういう心理が背景にあるのではないかと思ってしまいます。

(余談ですが、うちの父親はよその若夫婦にお父さん、と呼ばれてデレデレしていました。家族よりちやほやしてくれて、優しくしてくれる彼らに非常に肩入れしていましたが、彼らは父が都合が悪い存在になるとあっさりいなくなりました)

その深層心理が、ただ若い子に憧れられ、男性として愛されたい男性の欲と結びついてしまう。

不運な合致でひとつの家庭が崩壊寸前で奥さんにとっては迷惑極まりない。横合いから何の関係もない女性に取られそうになるわけだから。

相手女性の「過去の家庭環境」が他人のなんの関係もない家庭にまで及び、壊してしまう。

アダルト・チルドレンと家族―心のなかの子どもを癒す

大抵こういう場合、女性はいざおじさんが自分のものになってしまうと、急速に醒めて「もういらない」となることは想像に難くない。

手に入れることだけが目的な訳だから、目的を達してしまうと対象から興味が薄れてしまうのですね。ある意味、ハンティング志向の男性に近い思考回路のタイプなのかもしれません。

MARILYN MONROE 2020 CALENDAR (マリリン モンロー 2020年 カレンダー GF)

だから、マリリン・モンローも、もしケネディがジャクリーンと離婚して自分の夫になったとしたら、そのあとスッと醒めた可能性が高かったのではないか、そう思いました。

本当にケネディを手に入れたいのならば、実は追うのではなく、自分から去ろうとすればひょっとして追いかけてきたかもしれなかったですね。

実はこうした家庭環境の崩壊は「その家庭の現在」にあるのではなく、ずっと以前(つまり男性なり女性なりの幼い頃の家庭環境)にあるのではないか、そういうことをこのはマリリン・モンローを殺したか」を読んで思いました。

親との希薄な関係に悩んでいる人・育児放棄気味の親に育てられた人・とても魅力的なのに結婚が長続きしない人などはこの本を読んでみると、マリリンの人生を通じて気が付く点が多々あるかもしれません。

 

マリリンを取り上げたなら、ジャクリーンも取り上げないわけにはいきません。後日ジャクリーンに関しては記事を書きます

↓書きました


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