新元号が発表されたから「平成」になった時の話を回顧してみる【令和おめでとう】

いよいよ新元号発表され、新元号「令和」に決定しましたね。

3月31日が平成最後の日って話題になって「いやそうじゃない4月30日だよ」と即座に訂正されてましたけど、ついに私も昭和・平成・新元号と三元号を生きることになるわけです・・・

つまり「昭和」が終わったときと「平成」が始まったときを知っている世代なのですが、せっかくなのでその当時のことを書いていきますね。

 

追記:令和の由来

万葉集が出典

梅の花の歌32首序文 

初春の令月にし 気淑く風は和らぎ 梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす

于レ時初春令月 気淑風和

しょしゅんのれいげつにし、きよくかぜはやわらぎ うめはきょうぜんのこうをかおらす

 

 

インスタライブにツイッター発表。お祭りムードの新元号だが

官邸も今やインスタライブでカウントダウンをするなど、完全に新年あけおめを思わせるお祭りムードですが、昭和が終わったときはそんな浮かれっぷりなど考えられない状況でした。

なにしろ昭和天皇が崩御されたのです。昭和64年(1984年)1月7日のことでした。新年明けて7日目のことです。

あの昭和天皇が崩御された当日のことは今でも覚えています。人気が消え、ひっそりと音の消えた街はまるでゴーストタウンのようでした。

店もすべて営業を中止し、町からは喧騒と人気が完全に消えていました。

 

この動画の冒頭を少し見ただけでもその感じは伝わってくると思います↓

もともと昭和天皇は少し前から体調を崩されており、病状がテレビで逐一報告され、そのたびに世の中のムードは沈んできていました。

なぜなら、大半の人は「天皇陛下が大病を患う」という状態を経験したことがなく、こんなことは前代未聞の事態だったからです。

 

それでもとうとうその日はやってきた。大樹を失ったときの喪失感

 

昭和天皇の葬儀がしめやかに行われます。

 

雨が降っていました。路上に並び、葬列を見送る人々。黒い車がご遺体を乗せて走っていきます。その様子を日本中の人々がテレビを通して見つめていました。

そのときの皆の気持ちはおそらく「これからどうなるんだろう・・・」という気持ちがあったはずです。

普段天皇陛下は国民とは非常に遠い存在です。けれど、度重なる体調不良の報道、そうしてついにお亡くなりになったときのぽっかりと穴が開いたような喪失感は予想を超えていました。

皆自然にそれを悼みました。店を閉め、浮かれたことを控え、ただ黙ってその死を悼んだのです。

 

ついに新元号発表。「平成」の世の始まり

 

天皇陛下が崩御されたあとの「大喪の礼」日本中が自粛ムードに包まれ、全体がうすい黒雲に覆われたように世の中全体も暗くなりました。

バラエティなんて浮かれた番組はすべて中止。明るい空気を出すものはすべて自粛。もともと「これからどうなるんだろう」という流れになっていた世間のムードは沈んだままでした。

そんななか、新年号「平成」が発表されることになったのです。

 

あの沈痛な世の中の空気を知る世代として、今回のただ「新元号めでたい!」で世の中がどこかそわそわした空気になっていることは純粋に嬉しいと感じます。

新元号で経済効果も上がればいいじゃない!こんな風にお祭り騒ぎで喜べる改元を経験出来る経験は多分この先一度もないんです。

せっかくなんだからこの機会、わくわくしながらただ純粋に楽しめばいいんです。

新しい元号発表までの流れ、楽しくて良かったです。

 


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