以前、幽遊白書文庫版12巻のあとがきについての記事を書いた。
先日「レベルE」の文庫版を読んでいると、冨樫の心情吐露と思われる記述があったので考えてみる。「幽遊白書」の文庫版12巻の後書きの件でもそうだったが、どうも冨樫はコアな読者が見る場で心情を吐露する傾向があるようだ。
目次
「レベルE」あとがきで吐露された心情
(中略)最初の連載からこの頃までは、作品と自分の生活がほぼイコールで同調していたので、読むと古い日記を見返すようなむずがゆい感じになる。
でも他の作品に比べると居心地はそんな悪くない。比較的好きに書けたからだと思う。比較的、だが。あくまで。そりゃいろいろあったけど
うーん、年齢を重ねて怒りっぽくなった気がする。いや、怒りっぽくというか我慢できなくなったといった方がいい。とにかく思ったことを言わずにいるのが大変難しくなっている。何を言いたいかと言うと
当時のことを思い出して少しイライラしてきている。書くといろいろまずいのは理解している。だから、やめる。大人だからですから。
引用:レベルE (上) (レベルE) (集英社文庫(コミック版))あとがきより
冨樫は文面で何を伝えようとしたのか
「レベルE」の連載が終了したのは1996年。この文庫版が出た年が2010年と、14年の歳月が経ってもなお「イライラを感じる出来事」とは何なのか。
2010年10月23日に開催された「ジャンプスーパーアニメツアー2010」にて、レベルEはテレビアニメ化が発表され、2011年1月から4月にかけて放送されたのだが、この文庫版の刊行はつまりその「アニメ化」に合わせたスケジュールであったことが分かる。
その刊行に合わせ、当然当時の原稿を読み返す機会も増えたと思われ、その「思い出すとイライラする当時の出来事」が蘇ってきたのだろう。
率直に読者として上の文面を読んでどう感じたかというと「何か具体的には言えないけど、主に集英社側から理不尽なことがあったんだろうな」という印象だ。
冨樫側からすると「それで構わない」のである。「何かがあった」ということを伝えられれば良い、ということなのだろう。
ならばなぜ読者に邪推を呼ぶ内容の文章を敢えて巻末に収録したのか。まずひとつ考えられるのが、この文章を一番初めに目にするのは本を購入した読者ではなく、集英社の編集者であることだ。だから「まだ俺は許してないし、もうああいうことはしてほしくない」とアピールすることができる。
つまりまだ(2010年になっても)レベルEの時に起きた出来事に対し、冨樫の憤懣は消えていない。そのヒントになると思われる描写がほかの本に載っていたので紹介する。
「イライラする当時の出来事」のヒントは「先生白書」にあった
「幽遊白書」「レベルE」時代に冨樫のアシスタントを務めていた味野氏の描いたコミックスだ。
このコミックスに関しては「ゆるいネタすぎる」という否の意見も多いようだが私はこの本が好きだ。
なぜなら、才能あふれる漫画家といえど一人の人間で、生活者であることに変わりはないからだ。この漫画はその「生活者としての冨樫」をうまく掬い取った漫画だと思う。この頃から腰痛に悩まされ、床にはらばいになり漫画を描いていた描写もある。
毎日が冨樫の描く漫画のようにドラマ性やストーリー性があるわけではない。「ただ机に黙って向かい、ペンを動かすだけ」その作業の結果が「幽遊白書」であり「レベルE」なのだ。だから特に彼らの日常にドラマ性などない。結果としてそれを「ゆるい」と言われたのだろうが・・・
話が脱線してしまったがここから本題に入る。一体レベルE時代何があったのか、という話だ。
味野 「そういえば今回の連載(レベルE)って毎回違う話なんですね」
冨樫 「そうですね、世界観だけ同じで主人公も特に決めないで描くつもりです」
引用:味野くにお著「先生白書」より
冨樫:「次の話は怪獣出そうかな」
味野:「毎週違う話を描けるから怪獣も出せますね!」
引用:同上
そうアシスタントたちと会話をし「自由な連載内容」を獲得した冨樫の生き生きとした様子も描かれる。
ところが・・・
担当者:「というわけなんでお願いします」
レベルEの二つ目の話の後半で担当さんと先生がなにやらもめていました。
冨樫:「じゃあ、最後に一ページ使ってどうしてこうなったか描いていいですか、読者に説明するために」
担当者:「いやそれは 先生にとって作家としてプラスにはならないと思いますよ」
冨樫:「・・・」(重たい沈黙が流れる部屋の空気)
冨樫:「分かりました。じゃあこれから二ページ追加するんで待っててもらえますか」
担当者:「ありがとうございます!」
引用:同上
この背景を解説すると、冨樫が連載前に打ち合わせをしていた担当者が連載時に別の担当者に変わってしまい
冨樫:「連載前の打ち合わせの時はオムニバスって話だったんですけどね・・・ジャンプとしてはちゃんと決まった主人公を立てなきゃダメってことらしいです」
引用:同上
つまり「構想を伝達ミスでひっくり返されてしまった」



「クリエイター」と「徹頭徹尾サラリーマン」間の齟齬が「イライラする出来事」の神髄では
自由な構想を絵にし、生き生きと動き回らせるためにはある程度の環境が必要で、それを約束すると言ってくれたにも関わらず「担当者が変わったのでわかりませ~ん」
「上がこう言ってるんでこうしましょう、こうするしかないんですよ、いやそれは 先生にとって作家としてプラスにはならないと思いますよ」と逆に冨樫にプレッシャーすら掛けてくる。
下策中の下策だろうこれ
これではろくに仕事もできないサラリーマンにすぎないし、大手の肩書に甘えて作家を守ることなどしない「サラリーマン体質」に嫌気がさすのも無理はないと(想像する)
まあこれはすべて上記に紹介したいくつかのピースをつなぎ合わせて私が想像したストーリーなので、実際にこうしたことがあったかは分からない。
だが、あくまでも「集英社という巨大企業に守られたサラリーマン」と「漫画一本で、出版社に切られたら仕事をなくす」クリエイターの感覚の齟齬は大きいし、これは冨樫の言う「当時の出来事を思い出してイライラしている」という事柄に繋がってくると思う。
やったぜ冨樫!第三話で見せた「意趣返し」
このいざこざがあったのが二話の頃なのだそうだ。ところがである。この次の話の第三話で、冨樫はきちんとそのことに対する意趣返しを行っている(ように見える)
簡単に話を紹介すると、一話二話は地球にやってきたドグラ星の王子と、その王子とあるきっかけで関わることになった高校生筒井雪隆と隣の部屋に住む美歩、王子の付き人クラフトがメインの登場人物だ(上のコミックス画像に登場してるキャラたちです)
ところが第三話ではこのキャラたちは登場してこず、キャンプ中に「血を吸って人を食べてしまう」怪しい人物を目撃してしまう高校生4人が主人公だ。
この4人が、同級生の中にその人物がいると疑心暗鬼になり、追い詰められていくという話なのだが非常に面白い。
何度も言うようだが、一話二話で登場してくる人物は影も形もない。これでは「ちゃんと決まった主人公を立てなきゃダメってことらしいです」を守ってないではないか、そう思う。
(これ以降はネタバレにもなるので未読の方は飛ばしてもらっても構わない)
ところが、ラスト二ページで一話二話のメイン登場人物「王子」とその付き人「クラフト」が突然顔をだす。
王子は集英社の担当者と思われる編集と打ち合わせをし、今まで漫画で語られてきた「高校生恐怖の殺人鬼解明事件」が王子が書いた漫画だったことが明かされる。
つまり「劇中劇」の構造になっている。要は「これは王子が考えた漫画」だ。だから登場人物は一話二話と同じで「王子」だし、話のメイン人物は「高校生四人」だったけれど、ラスト二ページで王子を出すことできちんと話を集約している。しかも面白い。文句なしである。
悪魔的っ・・・(ざわ・・・ざわ・・・)
とカイジだったらそういうコメントが入りそうなうまいやり方だ。ちなみに4話でもそのやり方は引き継がれる。
メイン主人公は3話ラストで王子とクラフトがネタにしていた「小学生5人の戦隊もの」だ。そうして相変わらずそれらのキャラを好き放題動かした後で王子を登場させる。
すごいのである。「はいわかりました」と表面上言うことを聞いた振りをして、とことんまで自分の好きにし、最後に「こうしときゃ文句ないでしょ」と同じ人物を登場させ、ジャンプ側からの文句を封じる。
その上面白いのだ。そんな背景があったなど、微塵も伺えない。プロである。
漫画として楽しく「レベルE」を読んだ後、そんな想像をするのは野暮かもしれないが、非常に興味深い再読となった。
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