「オウム事件真相究明の会」はただただ意味わかんないです

「なぜ今?」「なぜ九人を同じ日に?」と有識者や一部知識人が麻原をはじめ他の幹部たちの死刑執行に異を唱えている人たちがいて、まるでこの人たちオウムに取り込まれてるみたいなこと言ってるなあ、と思っている次第です☟

オウム事件真相究明の会 声明文

執行を同じ日にしたのは一人ずつ違う日にしようものなら情報も漏れやすくなるし、マスコミにまた(TBSビデオ事件の時のように)情報もらされて後ろから撃たれかねない。

法廷で死刑判決が出ている以上、死刑を執行するという事実はもう揺らがない。それを一人ひとり分けたり違う日にしなければならない理由はなんでしょうか。

いずれ「死刑」になる人を、一人ひとり違う日にするとなにか彼らが救われたり楽になったりするというのか。

何のために?

それは単なる感傷論では。じゃあどうすればいいというのだろう。「真相が究明されてない」とこうした人たちは口々に言う。

どうして今になって騒ぐの!?麻原が死刑宣告を受けて14年も経っていますよね。その間、一度でもこうしてまとまって声を上げたり外部に意見を請うたことはあるのでしょうか。

あったのかもしれないけど、少なくとも普通の人はそんな機会があったことは知りません。

A3〈上〉 (集英社文庫)

☝森達也氏も「A3」で主張されていましたが。

オウム事件真相究明の会の声明文は6月29日。死刑が執行されたのは7月6日。一週間前に騒いでなにが変わるんですか。

これじゃあ「14年間何してきたんだよ」と言われても仕方ないと思う。14年も時間があったのに(おそらく6月29日時点で拘置所側では死刑日は確定していたと思われる)動くにしてもあまりにも遅すぎる。

何か訴えるにしたって、もう何も変えられない時に動いて何を変えられるというのか。麻原はもうすでにまともにものを言える状態でもないし、刑を執行できるような状態でもない、とこれらの人たちは主張するが、あまりにもその訴えの声は小さすぎたのだと思う。

だから誰にも届いてなかったし、そのことに対して議論はなされなかったのではないですか。だからこういう人たちが繰り返す「麻原に治療を受けさせて、きちんと全容解明を」ってもう14年も経ってるんだよ!?

14年も経ったら誰だって当時の記憶なんて細かい部分なんて抜け落ちてるだろうし、まして自我すらきちんと保ててないような状態の麻原が何をどこまで覚えているかなんて定かではない。

なのに「事件について何か話せるかもしれない」というのは単なる「望み」であり「希望」でしかないのではないだろうか。まるで死刑囚の家族が「家族を殺さないで」と国家に願っているように見える。

実の家族がこうした立場にあったならば、わらにもすがる思いで「治療を受けさせてほしい」と願う、これは家族の心情として理解はできる。

こういう知識人、ジャーナリストの人たちによって家族の望みが喚起され、補強されてしまったということはないのか。

要は「もう覆るはずのない死刑宣告」に対し「叶うかもしれない、叶えられるかもしれない」という希望を持ったこと。そのほうが却って残酷ではないのか、そう思う。

とにかく動くにしても何をするにしてもあまりにも遅すぎた。時間はたっぷりあったにもかかわらず。

真相究明はなされてないというが、ずっとオウム裁判を傍聴し続けてきた江川紹子氏は「いろいろな真相は明らかになっており、核心部分も含めて事実が出ている」とテレビで仰っています。


初めのほうは「オウム真相究明の会」のインタビュー。それを見た江川さんのコメントには、裁判をずっと傍聴し続けた圧倒的な説得力があります。


江川さんのコラム(ビジネスジャーナル)「真相究明」「再発防止」を掲げる「オウム事件真相究明の会」への大いなる違和感

 

↓こちらの記事では死刑執行の際の「国家陰謀論」に対する江川さんの冷静なコメントが見られます(Shoko Egawaというユーザーが江川紹子さんです。

 

 


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