【ダブスタはアウト】誰かを叩くなら打たれてもいい覚悟を持て【童貞叩きとか】

今回は前置きが長いので、要旨は「me too」はいいことだ。でも「me too」って女性だけに向いてやしませんかね から読んで頂けると伝わるかと思います。

me too 運動でできた「もう黙ってなくてもいいんだよ」という空気

私のような木っ端ブログ主からすると天上の神に等しい存在それは有名ブロガー。はあちゅうさんとかイケハヤさんはこんな私でもお名前は知っております。

はあちゅうさんのお名前を初めてしっかり認識したのはそうだなあ「me too」運動かな。

とぅぎゃったーに纏められている概要を興味深く拝見させていただきました。

大抵の女性はそうだと思うんだけどみんなセクハラは大嫌いだし、多かれ少なかれ嫌な思いをした経験があるはずです。

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これまで「それはセクハラです」という女性の声は「自意識過剰」だとか「考えすぎ」だとか「大げさに言うなよ」などと矮小化されることが多かった。

それが「me  too」によって表に出せるようになったということは非常に大きい。いかにこれまで女性がそうした嫌なことを自分ひとりだけの胸に秘めてきたかということが分かり、しかもこうしたハラスメントにありがちな「言われたほうにも一定の責任がある」というおかしな論理もここにはない。

前述のはあちゅうさんの元上司岸氏から受けたセクハラの件、ネット孤島に住んでいる私のタイムラインにも流れてきたため一連の流れを見てみたのだが「こりゃひでえ」の一言。第一容貌を云々もゲスイ(彼女は美人でしょ)女をすべて「俺と付き合えるか付き合えないか」観点で見てるのも気持ち悪い。

これまできっと誰にも鼻っ柱を叩き折られることもなく俺様でやってきたセクハラ男が因果応報で叩きのめされる。これは気持ちがいいですよ。

水戸黄門でいうと45分目ぐらいに入って「助さん格さん、こらしめておやりなさい!」のあたり。

これを「me too」で例えると水戸黄門の印籠は「それセクハラ」という言葉に当たります。もうその印籠出されると、普通の社会生活送ってる男なら「はは~!申し訳ございませんでした」と地に頭をこすり付けるしかない。

「me too」はいいことだ。でも「me too」って女性だけに向いてやしませんかね

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いわゆる「me too」ってフェミニズムの一環という部分が大きい。「SATC」のキャリーみたいな強くてタフネスな女たちがセクハラに負けずに立ち上がった!という絵面は大変絵になるし、可憐な女性たちがもう黙っていない!というアイコンにもなりやすい。

まあ日本における「me too」はぺロガクさんの告発とか神崎さんの参戦で完全にネタ方面になってしまったのは非常に残念。

事実その通りだと思うんだけど、ここに「男性に対するセクハラ」は含まれてはいないのだろうか。

近年「女性に対するセクハラ」はクローズアップされがちだし、男→女へのパワハラともとれるため世の中の風当たりは非常に大きくなっている。

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でも男性は!?

男性が「セクハラ」なんて訴えられる空気今ありますか?男性がそんなこと言おうものなら「情けない」だの「お前は女か」だの言われかねない。

元々男性へのセクハラはあまりにも自然に世の中に根付いていたため、男性はずっとそれを「受け入れなければならないもの」として受け入れて生きてきた。

☟これなんて本当に酷い。胸が痛くなります。

 

おきてはならない「ハラスメント」の転移。だから「セクハラ」は罪深い

よりによって「me too」を訴えたはあちゅうさんが童貞叩きをするというセクハラの転移が起きた。これあんまりじゃないですか(はあちゅうさんはすでにブログで謝罪ずみ、がのちに撤回)

セクハラの何がいけないって、こうした「セクハラ側」から「セクハラされる側」への思考の転移が起きること。

例えば

「セクハラされた私がいけないんだ(相手側からのお前が挑発したんだ、という思考をトレースしてしまう)

「こんなことを訴えたら汚点が付いてしまうから恥ずかしい(こんなこと訴えたらお前もただではすまないぞ、という加害側からの思考をトレース)

「童貞は馬鹿にしてもいい、いじってもいい」という社会的強者の男性に囲まれるうち、彼女も知らぬうちに男性特有のマッチョイズムを内在化してしまったのだろうか。

いろいろともやもやするのだがなんで童貞いじりがいけないのかって一言しかないでしょう。

人の性的な事はいじることでもないし面白がることでもない

それに尽きると思うんですよ。

つまり童貞いじりをしていいのは当人だけっていうこと。

「俺童貞なんだよね」「へえそうなんだ」→OK

「俺女の子と付き合ったことないんだ。どうやったら付き合えるかな」→OK

「こいつ童貞なんですよ。笑えるでしょ」→100%アウト

そもそも、こういうことって人に言うことじゃないし、誰かに詮索されることじゃないはずです。

あきらかにやりすぎ、セクハラ、個人の尊厳を貶めるいじめでしかない。 

この「童貞いじり」って相手が男性だから矮小化するのはおかしいしそれこそ「男女差別」です。男だから多少ひどいこと言われてもいいってそれおかしいですよ。

「いじり」と「いじめ」の違いって何ですか

「いじり」だって思ってるのはいつもやる側で、相手が「いじめ」だと言ったらそれはいじめなんです。

「ただの愛あるいじりじゃん」というのはまるっきりいじめっ子の言いぐさそのもので呆れます。

相手が不快に思い「やめてほしい」と思うならばそれはいじりではありません。「愛がある」と思ってるのは言ってる本人だけの独りよがりで相手には愛なんて伝わってない。

 

「愛がある」と頭につけると何でも言っていいのか

「愛がある」か「愛がない」かを判断するのは言われた側であって、言う側が相手の苦情を封殺するために「愛」を言い訳にするのは間違っている。

多分彼女がいいたかった「童貞」っていうのはみうらじゅん的な「サブカルアイコンとしての童貞ぽさ」みたいなことを言いたかったんじゃないかと思うのだが、でもみうらさんは自分の中にある「童貞ぽさ」を笑ってるからいいんであって、それを例えば女性芸人が笑いものにしたら笑えるかっていうと全然笑えないわけで。

つまり彼女の誤りは

異性の、それも他人がそれをいじったこと

童貞をいじられても不快に思う人などいない、と思っていたこと

であると思う。

なぜ謝罪を撤回してしまったか私には分からない。だって少なくとも彼女の童貞いじりで傷ついた人がいることは確かなのだから。

ならばその人たちを傷つけたことと「自らの表現の幅を狭めるから謝らない」ということは分けて考えるべきだと思うのだが。

 

 


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