オウム真理教事件~教祖逮捕、国松長官狙撃事件と村井秀夫刺殺事件⑤

「教祖」はカメラの前で引きずり出された

1995年3月22日午前5時25分、警察の山梨県上九一色村に建つオウムサティアンへの一斉捜査が始まった。しかし教祖麻原彰晃の姿だけがどこにも見当たらない。捜査員たちは壁を壊し、麻原の姿を探し続けた。

4月から第6サティアンの警戒にあたっていた捜査員から「10日ほど前、2階と3階の間の外壁に開いた穴のあたりに、信者が雨よけのひさしを取り付けていた。怪しい」と報告があり、2階の天井付近の捜索が始まった。天井をたたき割り、穴を広げると、人影が見えた。「ひげを生やした赤い服の男がいる!」

引用元:産経News隠し部屋に現金や肉…教祖逮捕の指揮官が振り返った“その瞬間”

逃走費用だったのだろうか、手元に現金を置き、麻原は一人サティアンの天井裏に身を潜め、潜伏していた。


衝撃の瞬間。「教祖麻原」は弱々しくさえ見える、単なる中年男だった

麻原彰晃の誕生 (文春新書)
麻原彰晃の誕生 (文春新書)

 

テレビカメラの前で打ち壊される脆い天井。中から現れたのは紫色の服を着た「麻原」だった。テレビメディアに散々露出したのが災いし、誰しもが彼の顔を知っていた。

間違いようもない。紛れもなくオウム真理教教祖「麻原彰晃」その人だった。

日本中が固唾を飲んでこの姿をテレビカメラを通して見ていた。

信者たちに教えを説き、ありとあらゆる罪をそそのかしたはずの麻原は、自室に食料をため込み、900万円もの資金を身に着けて一人、身を隠していた。

壁が棒を持った警察官によって叩き壊されていく。ぽかりと空いた穴の向こうに長髪の男の姿が見えた。男はまぶし気に目を眇めた。まるで寝坊して無理やり起こされたかのように気の抜けた顔だった。

この肥満した、もったりと重そうな中年男がほんとうに、地下鉄にサリンを撒くよう指示し、様々な凶悪な事件を引き起こしたのだろうか。

衆目の前に引きずり出された麻原はまるで借りてきた猫のように無害に見えた。「観念する」そんな言葉がぴったりのように見えた。

わたしたち一般市民はみな、そのときテレビに映る麻原の姿に「自身の保身に走った、いたって凡庸な一人の中年男」の姿を見ていた。

これで「オウム事件はもう起きない」誰しもがそう思った。しかし、この「教祖逮捕」はこれから起きるさまざまな騒動の序章にしかすぎなかったのだ。

 

1995年3月は異常すぎる事件が頻発。これはドラマでも映画でもない

その8日後の1995年3月10日。国松孝次警察庁長官が朝通勤のために家を出たところ、潜んでいた男に狙撃される事件が起きた。

長官は背中や腹を撃たれて重傷を負い、男は現場から自転車で逃走する。現場に残されていたのは朝鮮人民軍のバッジや大韓民国の10ウォン硬貨であった。

警察庁長官を撃った男 (新潮文庫)
警察庁長官を撃った男 (新潮文庫)

銃撃時間の1時間後、テレビ朝日に一本の電話が掛かる。

「オウムに対する捜査をやめなければ、他にも怪我をする人物が出る」

明らかにオウムに関与していると思われる脅迫の電話。しかも全警察官トップに位置する「警察庁長官」が狙撃されたのである。日本の警察の威信をかけて、警察は血眼になって犯人を探した。

警視庁は2004年に教団信者だった元同庁巡査長や元教団幹部らを殺人未遂容疑などで逮捕したが、元巡査長の供述が変遷して実行役を特定できず、いずれも嫌疑不十分で不起訴となった。

引用元:JIJI.COM

15年後の2010年、この事件は時効が成立し、未解決になった。

☟国松長官狙撃事件について詳しく紹介してあるページです。

 フジテレビ 
奇跡体験!アンビリバボー - フジテレビ
http://www.fujitv.co.jp/unb/contents/170629_1.html
奇跡体験!アンビリバボー - オフィシャルサイト。毎週木曜よる7時57分放送。世界中の幸福な奇跡、常識や科学では解明できない超常現象、怪奇現象などアンビリバボーな話をお送りします。

 

さらに起きる事件の連鎖。オウム幹部がカメラの前で

極秘捜査―政府・警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」 (文春文庫)
極秘捜査―政府・警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」 (文春文庫)

オウム強制捜査から約一か月が経過した4月23日。オウム真理教東京総本部ビル前で、オウムの「科学技術省(オウム内での科学部門、つまりサリン等の生成に関わっていた)」の大物幹部村井秀夫がマスコミのテレビカメラに取り囲まれている状況のなか、突然近づいてきた男に腕とわき腹を刺された。

犯人はすぐさま逃走、村井はすぐに病院に運ばれたが出血性ショックで亡くなった。

このシーンは数限りないほど当時テレビで流れたことを強く覚えている。

何しろ、多くの報道陣がぼんやりと突っ立っている(ように見えた)なか、村井が驚いたような顔をしてまもなく、手のひらに付いたものは鮮やかな血。

足元から崩れ落ちる村井。ひとがテレビカメラの前で刺し殺されたのである。それをカメラは映し続け、テレビではその画像が何回も流れ続けた。

過去に起きた「豊田商事会長刺殺事件」を思わせるマスコミの目前での凶行。

村井はオウムのさまざまな悪事に中心的にかかわった人物であり、逮捕された犯人は「正義感から」のような言葉を繰り返していたが、実際のところはオウムによる口封じだと当時世の中では解釈されていた。

もし彼がこういう事件に巻き込まれず生きていれば、オウム事件に関してかなりの部分が分かっていたであろうし、解決もしていたはずだ。

教祖麻原よりもかなり深いことを知っていた人物であっただけに、この村井刺殺事件はオウム事件が混迷の方向性に進んだ契機になった事件とも言える。

 

 


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