オウム真理教事件~地下鉄サリン事件の衝撃、オウムはついに「国民の敵」になった④


急転直下のXデーは事件の二日後に

1995年3月22日。その日、私は授業ガイダンスのために大教室にいました。

ざわざわと不安と期待に満ちた顔をしつつもおしゃべりをする学生たち。

そろそろガイダンスも始まろうという時、誰かがふと呟きました。

「おい、今日のTV見たか?」

「見た見た」

「いやあ、驚いたなあ。まさかあんなことになるなんて」

 

「地下鉄サリン事件」が起きて二日目のこの日、ついにオウムに警察が強制捜査に入り、その大騒動が朝の番組で日本中に流れていました。

ものものしい装備で上九一色村のオウムのサティアンに雪崩れ込む警察官の群れ。怒号や悲鳴を上げながらそれを静止しようとする「ヘッドギア」と呼ばれる変なヘルメット状の帽子を被った信者たちとの異様なもみ合い。

これまでオウムを「取るに足らない訳の分からない宗教」と見なしていた大半の国民は、ようやくこの時になって、これまで起きてきたさまざまな事件が、オウム真理教によって引き起こされたものだったことを知ったのでした。

このとき、教室で誰かが呟いた言葉がおそらく大半の一般人の気持ちを代弁していたと思います。

「あいつら、ついにやらかしやがった」

何かに憑かれたように歌い踊る信者たち、異様な白装束、麻原を崇拝するオウムの在り方を、一般人は初めは「変なひとたちだなあ」というぬるいウォッチ感覚で見ており、警察、公安、オウム施設周辺住民以外の人たちを除き、オウムはまだ当時は特に危険な団体だとは見なされていませんでした。

ところがそれが一転、警察が強制捜査に踏み切ったこのニュースは、まだオウムの犯罪を何も知らない一般人に大変な衝撃を与えたのです。

彼の言葉に、せきを切ったように教室の皆は口々にオウムの捜査のことを話し始めました。

これは間違いなく「大犯罪」であり、それが暴かれた瞬間に自分たちは立ち会っている、そんな予感を感じていたからでした。

地下鉄サリン事件。あの事件から「駅からゴミ箱」が消えた

駅や駅の構内でごみが出たとき、なかなかゴミ箱が見当たらなくて困ったことはありませんか。また頻繁に「駅構内で不審なものを見かけたらすぐ駅員までご連絡ください」というアナウンスも流れています。

駅にゴミ箱が置かれなくなったのは間違いなく「地下鉄サリン事件」の影響です。では地下鉄サリン事件とはどういう出来事だったのでしょうか。

 

1995年(平成7年)3月20日午前8時ごろ、東京都内の帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ、丸ノ内線、日比谷線で各2編成、千代田線で1編成、計5編成の地下鉄車内で、化学兵器として使用される神経ガスサリンが散布され、乗客や駅員ら13人が死亡、負傷者数は約6,300人とされる。

1995年(平成7年)3月20日は月曜日で、事件は平日朝のラッシュアワーのピーク時に発生した。各実行犯は、500〜600gの溶液(内サリンは35%程度)の袋詰めを2つ、林泰男だけは3つ運び、犯人は各々に命じられた列車に乗り込み、乗降口付近で先端を尖らせた傘を使い、袋を数回突いて下車。それぞれの犯人が共犯者の用意した自動車で逃走した。

引用元:Wikipedia 地下鉄サリン事件

月曜のラッシュアワー時間帯を狙って起きた事件であり、混雑した車内で乗客たちはこの事件に巻き込まれました。

また、原因がサリンだということが判明しないうちに乗客たちを救助しようとした駅員、警察官、消防官、救急隊員にまで被害が広がりました。

「国家転覆」を狙いオウムが引き起こした大事件。そのために被害にあった人たちは膨大な数に上り、今なお後遺症に苦しむ人たちがいます。

これはすべて、たった一人の教祖が「そうだ、自分たちと違う考えの人たちをポアすればいいんだ。それがみんなのためなんだ。皆、やってくれるな?」と言い出したことに始まっているのです。

注:ポアとはオウムが都合よく使っていた用語で「殺すことが結局は相手のため」という訳の分からない理屈をもとに殺人を正当化した欺瞞です。

この強制捜査をきっかけにオウム真理教は「まっとうに生きる日本人すべてに敵対する存在」であることが明らかになったのでした。

 

村上春樹が「サリン事件」被害者にインタビューを行った本「アンダーグラウンド」

非常に厚みがある本であるとともに、重たいテーマを扱った本でもあるので少ししか読んでいませんでした。この機にしっかりと読んでいきたいと思います。

また「約束された場所で」のほうは信者のほうにインタビューを行った本です。

 

 

 

 


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