オウム真理教事件~「象の帽子のおじさん」が「日本の敵」になるまでの話②


では松本智津夫こと「麻原彰晃」が今でいう「サンジャポ」や「TVタックル」に出ているようなキャラクターだったこと、90年代全体が「総オカルト時代」だったという社会背景を説明してきました。

☟当時を知ってる方のとぅぎゃったー。とても当時の感覚が伝わりやすい。

今回はそんな「ネタ枠」「何言ってんのこのおじさん、うさんくさ」というキャラクターだった彼が、さらに世の中で知名度を上げていくまでをまとめます。

 

「尊師マーチ」と象の帽子。何を血迷ったか「政治」に進出してきた

次に「麻原彰晃」が大々的にテレビに登場したのはまさかの「政治活動」でした。

今でも選挙において奇抜な主張を繰り返す「プチ有名人」が飛沫候補になってしまうケースはありますが、完全にネタで取り上げられることはあっても、きちんと政治的主張をまともに取り上げてもらえることはない。

オウムのやっている政党(真理党)でもそれは同じでした。

だってこの人たちキャラが濃すぎるんだもん

「しょ~こ~しょ~こ~しょこしょこしょ~こ~あ・さ・は・らしょうこ~」と選挙カーの上で白い法着に身を包んだ麻原彰晃と、腰まで黒髪ロングを伸ばした生真面目そうな女の人が歌い踊るんです。しかも象の帽子を被って(注:この歌は尊師マーチというのでぐぐれば見れます)

でもなによりもそれにおかし味というか味わいを添えているのが、歌い踊るオウムの人たちがみんな大真面目な顔をしてそれをやっていること。

いや、たぶんそうしなきゃ偉い人に怒られるからだと思うんですけど、とにかく彼らは異様な感じでした。

もうこれ中小企業に勤める会社員と変わんないじゃないの・・・

そんな完全にネタにされてしまっているオウムの選挙動画はマスコミの格好のオモチャになりました。

だって絵的に面白すぎますし、確実に小学生男子とかは学校で歌ってたと思います。私は当時高校生だったんですが、学校に行けば「ねえ昨日オウム見た?」とか「面白すぎ!」とかクラスメイトが完全にネタにして笑ってました。

「ヒカキン見た?」ぐらいのライト感覚でウォッチされていたんです。やっぱり象の帽子がかなりツボに入るというか、あれはやばい。

 

「おふざけ集団」と見られていたオウム。しかしその陰で既に罪は始まっていた

そんな風に完全に世の中に「ネタ」として消費されているオウムでしたが、その陰で深刻な事件がすでに始まっていました。

すでに彼らはオウムから抜けたいとノイローゼ気味になっている信者の男性を拘束、やりすぎがたたって彼を殺してしまっていたのです(田口修二さんリンチ殺害事件 1989年2月)

さらに選挙活動の妨げになるとして坂本堤さん(弁護士で、オウム関係の事件に関わりがあった)一家、坂本さん、妻、赤ちゃんの三人宅に侵入、彼らをさらった上に手に掛けていたのです。(1989年11月)

しかし、私たち一般市民はそんなことも知らず、オウムをただの「変なひとたち」だと思って呑気にテレビで見ていました。

陰でこんなことが行われていたなんて、警察やTV局関係者でもない限り分かるはずもなかったのでした。いえ、警察ですらまだそんな結論にはたどり着いてはいなかったのです。

 

オウムは「選挙に負けたから凶暴化」したわけじゃない、元からこうだったのだ

のちに「地下鉄サリン事件」や「松本サリン事件」「坂本一家殺人事件」などがオウムのしわざだと分かったとき、識者たちは口々に言いました。

「オウムは選挙で国政に打って出て、それでボロボロに負けておかしくなった、それが暴走の原因だったのだ」と。

私はこれは正確ではないと思います。もともと彼らには「自分たちの教えを守っているものだけが味方で、それ以外の者には多少手荒でもなにをしてもかまわない」と考えていたのではないかと思うのです。

だから「抜けたい」という田口さんには「目を覚ませ」という立場で当たったのだろうし「やめたければやめればいい。好きにすればいい」という自由などなかったのではないでしょうか。もはや「洗脳」が解けつつある田口さんはそうなるともう「身内」ではありません。

そうしてかつての「身内」にまで手を下してしまったこと。それがオウムが間違った方向へ進みだしていくきっかけではないかと思います。

 

このときオウムがくわだてていた犯罪は酷く短絡的な事件ばかり

オウム真理教に対して、批判的な記事を書いていた『サンデー毎日』の出版を差し止めるべく、出版元である毎日新聞社本社の爆破計画があった。2トントラックに爆弾を搭載し、輪転機がある(はずの)パレスサイドビルディング地下階に突っ込んで爆発させれば、サンデー毎日の出版を停止できるという計画だった。

引用元:wikipedia 坂本弁護士一家殺人事件

これに関連してきたのが坂本弁護士でした。坂本さんは「オウム真理教被害者の会」を立ち上げており「サンデー毎日」でオウムの追及キャンペーンで取材を受けてもいた。

ここでまた致命的な出来事が起こります。

1989年(平成元年)10月26日にTBSのワイドショー『3時にあいましょう』が、坂本氏にインタビューを行ったが、TBSはオウムの圧力に負け、放送を中止する。そのさい、抗議してきたオウムの幹部にビデオを見せたことが「坂本一家殺人事件」に繋がってしまった。(Wikipedia→TBSビデオ問題

さらに、一家が失踪したあともこのことを警察に伝えることはなく、事件の発覚の妨げになった。

当時からマスコミはこんな感じでした。センセーショナルなニュースが撮れればいい。強いものや圧力にはすぐ腰砕けになり、責任も持たないし、報道のせいで事件が起きても知らんぷりです。

↑ソース(東京スポーツ 1996年4月11日号)

さすがに報道のためとはいえオウムと親密な関係を結び、なおかつ犯罪の端緒となった事柄に関係していたなど前代未聞で、TBSは坂本一家殺人事件に相当な責任があることを当初は否定していました。

しかし一転、1996年3月25日、その疑惑が事実であったことを認めました。同局のキャスターであった筑紫哲也氏は「筑紫哲也NEWS23」内で「TBSは今日死んだに等しい」と公言しました。

 

TBSは上記の事実が判明したときに世の中から大バッシングを受け、二度と「オカルト」や「超常現象」を扱わなくなりました。

これ以降、どのテレビ局も「オカルト」と「UFO」「超常現象」から手を引き始めます。さすがに罪に加担したというのはいいすぎにしても、そうした社会情勢を作ってしまったことへの責任を感じた部分もあったのではないでしょうか。

(続)

 

 


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